2014年10月21日火曜日

何時からフランスが芸術の国になったのか~③新古典派


①新古典派って?


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Jacques-Louis_David_-_Mars_d%C3%A9sarm%C3%A9_par_V%C3%A9nus.jpg
ダヴィッド作  ヴィーナスと三美神に武器を取り上げられるマルス
 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Jean_Auguste_Dominique_Ingres,_Apotheosis_of_Homer,_1827.jpg
アングル作  ホメロス礼賛




新古典に今までのように語源となるようなものがあるわけではないので、突然絵画から始まりますが、二つの絵を見ていただければ、『ああ、あたしかに古そうなイメージだね』と言うのがお分かりいただけるのでは?
左はギリシャ神話の一幕、ホメロスは古代ギリシャの詩人です。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A8%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3#mediaviewer/File:RAFAEL_-_Madonna_Sixtina_%28Gem%C3%A4ldegalerie_Alter_Meister,_Dresde,_1513-14._%C3%93leo_sobre_lienzo,_265_x_196_cm%29.jpg
ラファエロ作 システィーナの聖母

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Ingres_-_O_Voto_de_Luis_XIII.jpg
アングル作 ルイ13世の請願




読んで字のごとく、主に、古代ギリシャやルネサンス等を手本とした人たちのことです
 しかしアングルの聖母はスポットライト感があってバロックぽくも見えますね



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%EF%BC%9D%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%89
ダヴィッド作 マーラーの死

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%A8%E3%82%BF_%28%E3%83%9F%E3%82%B1%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%AD%29#mediaviewer/File:Michelangelo%27s_Pieta_5450_cropncleaned.jpg
ミケランジェロ作 ピエタ



 ②背景は?

華やかだった貴族の時代もフランス革命によって終わりを告げ、 その時代の反省から、倫理的で理性的、またデッサンを重視した男性的な絵が好まれるようになります。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A8%E3%82%A2%E3%83%92%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%B3#mediaviewer/File:Johann_Joachim_Winckelmann_%28Raphael_Mengs_after_1755%29.jpg
古代芸術の本を書き、新古典の理想を世に広めたヴィンケルマン




また、この時代、ヴェスビオ火山の噴火によって地中に埋まっていた、ポンペイやヘルクラネウムの遺跡が発掘され、古代ローマやギリシャへの憧れが熱を帯びます。

そして、憧れと共に、イタリアを訪れ、古典美術やイタリアが輝いていたルネサンスの芸術に触れ影響されました。


③フランス以外では



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%8B%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A1#mediaviewer/File:AntonioCanova_PsycheRevivedByCupidsKiss.JPG
カーノヴァー作 アムールとプシュケ

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%8B%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A1#mediaviewer/File:Canova_ErcoleLica_1.jpg
カーノヴァー作 ヘラクレスとかカリス














 こちらイタリア人のカーノヴァー
シワが全く無く非常に滑らか、かなり理想化された姿ですね、理想化されすぎて動きが無いとも言われます。


 
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/09/Anton_Raphael_Mengs%2C_The_Triumph_of_History_over_Time_%28Allegory_of_the_Museum_Clementinum%29%2C_ceiling_fresco_in_the_Camera_dei_Papiri%2C_Vatican_Library%2C_1772_-_M0tty.jpg
メングス作 The Triumph of History over Time,









http://de.wikipedia.org/wiki/Anton_Raphael_Mengs#mediaviewer/File:Mengs_Parnasus.jpg
メングス作 Der Parnass
ダヴィッドより、一足先に新古典を描いていたドイツ生まれの、スペイン宮廷画家メングス。
新たなラファエロともよばれたそうです。



④ギャラリー

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%EF%BC%9D%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%89#mediaviewer/File:Jacques-Louis_David_007.jpg
ダヴィッド作 アルプスを越えるナポレオン



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Jacques-Louis_David_020.jpg
ダヴィッド作 ホラティウス兄弟の近い








http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AF%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88#mediaviewer/File:Jacques-Louis_David_-_Marie_Antoinette_on_the_Way_to_the_Guillotine.jpg
ダヴィッド作 処刑台のマリー・アントワネット

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%EF%BC%9D%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%89#mediaviewer/File:Madame_R%C3%A9camier_painted_by_Jacques-Louis_David_in_1800.jpg
ダヴィッド作 レカミエ婦人
























政治が大好きなダヴィッドさん、フランス革命後はナポレオンに心酔、ナポレオンと共に行き、また、ナポレオンと共に失墜します。
①で紹介したマーラーはフランス革命で活躍するも暗殺された革命家、アルプスを越えるナポレオンはおなじみですが、かなり脚色があることでも知られています。
レカミエ婦人は、ナポレオンが愛人にするための道具として、ダヴィッドに描かせた絵画(でも結局気に入らないと受け取ってもらえず、愛人にもなりません)









http://cs.wikipedia.org/wiki/Jean_Auguste_Dominique_Ingres#mediaviewer/File:Ingres,_The_source.jpg
アングル作 泉





http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Ingres,_Napoleon_on_his_Imperial_throne.jpg
アングル作 玉座のナポレオン


















http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/8f/Songedossian.jpg
アングル作 オシアンの夢



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Jean_Auguste_Dominique_Ingres_005.jpg
アングル作 グランド・オダリスク




















デッサン重視で、かなり輪郭のはっきりした絵を描くアングル、一方で理想化されすぎて、血の気がないとか、人間を描いていないとも言われます。
実際、グランド・オダリスク など妙に背中が長い(モデルは自分の背中は見えない=背中は画家だけのもの、とういことで、背中が好きだったと言う話もあったり)絵もあり、実物はなく彼の理想の姿を描いたとされます。
サロンの重鎮として、後のロマン主義の画家ドラクロワと対立する一方で、グランド・オダリスクのような東洋的で、ロマン主義がテーマにするような作品も描いたり、写真に対する反対運動をしつつ、作品を作る際、自分は写真を使っていたりもします。



マン・レイ作 アングルのバイオリン






写真に詳しい方はご存知かもしれませんが、マン・レイの『アングルのバイオリン』の元になってるアングルでもあります。






2014年10月18日土曜日

何時からフランスが芸術の国になったのか~②ロココ






①ロココとはなあに?


http://it.wikipedia.org/wiki/File:Grotta_del_buontalenti,_esterno_dettaglio_01.JPG
ブオンタレンティンのグロッタ


ルネサンス期から、古代ローマの遺跡を模倣して、庭園内に洞窟を作り、そこに装飾を施す独特の美術が生まれます。
(この洞窟をグロッタと言い、現在のグロテスクの語源です)
このグロッタに施された、石や貝殻を使ったモザイクのようなの装飾をロカイユと呼び、これがロココの語源となっています。


http://nl.wikipedia.org/wiki/Manufacture_nationale_de_S%C3%A8vres#mediaviewer/File:S%C3%A8vres_Porcelain_Manufactory_-_Pair_of_Vases_-_Walters_48566,_48567_-_Group.jpg
セーブルの磁器
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/89/Salon_Dor%C3%A9_4.JPG/640px-Salon_Dor%C3%A9_4.JPG
エリゼ宮のサロン・ドレ























この時代、各地でロココ様式の宮殿が建設されます、また、磁器がヨーロッパでも生産できるようになるのもこの時代。



③では、絵画は?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B3%E3%82%B3#mediaviewer/File:Fragonard,_The_Swing.jpg
フラゴナール作 ぶらんこ






http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%8C%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%88%E3%83%BC#mediaviewer/File:L%27Embarquement_pour_Cythere,_by_Antoine_Watteau,_from_C2RMF_retouched.jpg
ヴァトー作 シールテ島の巡礼
















バロックのコントラスト、信仰心に満ちた宗教画も内面まで描き出すような肖像画のイメージもどこへやらと言う感じで


まず、左の絵から。こんな絵ばかりではないですが、こういう絵も受け入れられる時代であったと言うことで、因みに、依頼主は、右側の少年です。

右側の絵は、ちょっとテーマが分かり難いかもしれませんが、言ってみれば上流階級の合コンのようです。

この絵の作者、ヴァトーがこの時代の先駆者で、自然の中で着飾った男女が優雅に散策してるような絵、雅宴画(フェート・ギャラント)と言うジャンルを確立しました。

女性的で曲線的、自由で享楽的、色彩もかなりはっきりした印象でしょうかね。


④どんな背景があったの?


フランスの太陽王ことルイ14世が亡くなった後、そのひ孫ルイ15世(5歳)が即位します。
当然、5歳では政治は出来ないので、宰相オルレアン公フィリップが政治を担います。
ルイ14世は、フランスを統一するため、中央集権的な政治を行いました、当然その分
貴族達の権力は落ち、フィリップも 不満を持っていました。

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/e/e6/1674_Philippe.jpg
オルレアン公フィリップ
フィリップはルイ14世の死の直前、ルイ14世からその死後の政治を一人に任せると言う言葉を取り付けます。彼はルイ14世の死後すぐに、税率を引き下げたり、政治を貴族中心のものへと変更します 。この流れとともに、貴族中心の文化が発展していきます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B6%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%AB#mediaviewer/File:Marie_Leszczy%C5%84ska,_reine_de_France,_lisant_la_Bible_by_Jean-Marc_Nattier,_002.jpg
王妃マリー・クレザンスカ

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A415%E4%B8%96_%28%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E7%8E%8B%29#mediaviewer/File:LouisXV-Rigaud1.jpg
リゴー作 ルイ15世






















さてルイ15世ですが(結構イケメンですね)、王妃マリークレザンスカと結婚、彼女を溺愛し11人もの子供に恵まれます、しかし、仲むつまじかった二人も、王妃が毎年のように出産を繰り返しにつかれ、次第に距離を置くようになります。
すると、ルイ15世は愛人を抱えるようになり、その中で特に影響力が強かったのが、平民出身ながら知識と教養を兼ね備えた、ポンパドゥール婦人、そして文化も彼女を中心としたものへと移ってゆきますフランスの官展であるサロンを始めたのも彼女です。



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Fran%C3%A7ois_Boucher_019_%28Madame_de_Pompadour%29.jpg
ブーシェ作 ポンパドール婦人



④そのころほかの国では



イタリアは観光地化、観光地だけに絵葉書のような名所を紹介した絵が人気を博します。
http://mk.wikipedia.org/wiki/%D0%92%D0%B8%D0%BB%D0%B8%D1%98%D0%B0%D0%BC_%D0%A5%D0%BE%D0%B3%D0%B0%D1%80%D1%82
カレナット作 パリシカのあるサン・マルコ広場



イギリスは、長らく芸術不毛の地でしたが、芸術学校ロイヤル・アカデミーが設立されるなど芸術に力を入れ始めますが、夢見心地なロココとは一線を画した現実的な独自の美術を確立します。
この人の作品は、連作で順番に見ると結構面白い。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BE%E8%95%A9%E4%B8%80%E4%BB%A3%E8%A8%98#mediaviewer/File:William_Hogarth_021.jpg
ホーガス作  放蕩一代記






スペインは、独自の道を歩いて、どうも時代を先取りする傾向にあるので、このあたり、時代が追いついたらそっちに入れます。



⑤ギャラリー
正直、ロココの画家の人生はあまり知らないので、それについては分かったら書きます^^;


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%8C%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%88%E3%83%BC#mediaviewer/File:Antoine_Watteau_-_The_Love_Lesson_-_Google_Art_Project.jpg
ヴァトー作 愛のレッスン

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%8C%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%88%E3%83%BC#mediaviewer/File:Watteau_Polish_woman.jpg
ヴァトー作 ポーランドの女性
































http://en.wikipedia.org/wiki/Fran%C3%A7ois_Boucher#mediaviewer/File:Fran%C3%A7ois_Boucher_-_Dreaming_Shepherdess_-_WGA02914.jpg
ブーシェ作 夢見る羊飼い


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%AF%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%82%A7#mediaviewer/File:Fran%C3%A7ois_Boucher_002.jpg
ブーシェ作 昼食
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/bc/Jean-Honor%C3%A9_Fragonard_018.jpg
フラゴナール作 読書する娘





http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%8E%E3%83%AC%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%A9%E3%82%B4%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%AB#mediaviewer/File:Jean-Honor%C3%A9_Fragonard_009.jpg
フラゴナール作 閂





















女性画家も現れ始めます

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:MA-Lebrun.jpg
ルブラン作 マリー・アントワネット
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%B6%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%88%EF%BC%9D%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%B8%E3%82%A7%EF%BC%9D%E3%83%AB%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%B3#mediaviewer/File:Self-portrait_in_a_Straw_Hat_by_Elisabeth-Louise_Vig%C3%A9e-Lebrun.jpg
ルブラン作 麦藁帽子をかぶった自画像

























こちらはフランスでも、独自路線


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A1%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%80%E3%83%B3#mediaviewer/File:Jean-Baptiste_Sim%C3%A9on_Chardin_007.jpg
シャルダン作 赤エイ
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/35/Jean-Baptiste_Sim%C3%A9on_Chardin_003.jpg
シャルダン作 食前の祈り






















http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A1%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%80%E3%83%B3#mediaviewer/File:Jean-Baptiste_Sim%C3%A9on_Chardin_030.jpg
シャルダン作 ブドウとザクロ





2014年10月13日月曜日

何時からフランスが芸術の国になったのか~①バロック

芸術の秋、美術館へ行こう!!


と言う訳で、ミニ企画に合わせて少し美術史を説明してみます。
(絵の画像はクリックで元サイトの大きいサイズで見えます)

さて、今でこそ、芸術の国といわれるフランスですが、一体何時からそう看做されるようになったんでしょう?
初めからそうだったの? 
いやいや、そんなことはありません。

今回は、フランスの芸術家で、ちょっと有名な人が現われ始めるバロックのお話。


①そもそも、バロックってなあに?
 まずはこちらの真珠の飾りを、ご覧下さい。
 この真珠、真珠では有りますが、球体ではないですよね。こういった、球体ではない真珠のことをバロック真珠と呼びます。(宝石に詳しい方は知ってるかもしれませんが)
これがバロック芸術の語源です。

②じゃあ絵にしたらどうなの?背景は?


まず、この時代の一つ前、ルネサンス期作品をどうぞ



http://it.wikipedia.org/wiki/Raffaello_Sanzio#mediaviewer/File:Belvedere_madonna.jpg
ラファエロ作 聖母子





http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A8%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3#mediaviewer/File:Raffaello,_pala_baglioni,_deposizione.jpg
ラファエロ作 キリスト降架















ラファエロは、ダ・ビンチやミケランジェロより若く、彼らの技法を吸収したと言われますので、代表として、絵のチョイスは、後の画家も同じ題材で描いているからです。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B1%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%83%E3%82%B8%E3%82%AA#mediaviewer/File:Michelangelo_Caravaggio_001.jpg
カラヴァッジオ作 ロレートの聖母

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%BC%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%91%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%B3%E3%82%B9#mediaviewer/File:Peter_Paul_Rubens_-_Descent_from_the_Cross_-_WGA20212.jpg
ルーベンス作 キリスト降架






作者の説明は後回しにするとして、上下で比較してみて如何でしょうか?

ラファエロの、作品が割と均一に、光が当たっているのに対し、バロック期の作品では、暗い背景に聖母やキリストにスポットライト的に強い光が当たって、神々しさが強調され、人々もそれをサポートするポーズや動きをしているのがお分かりになるかと思います。

このトレンドの時代背景は、 一つに、宗教改革が有ります。
それまで、宗教がキリスト教カトリック派がずっと支配してきましたが、 長く支配が続いたため、権力の巨大化や腐敗が進んでいました、そこで、ルターがキリスト教の本来のあるべき姿を説き、これがプロテスタントとして、新たなトレンドとなります。

こうした流れに、対抗するため、カトリックは芸術に力を入れ、当時字が読めない人も多かったことから、ドラマチックなシーンや強い明暗表現による、インパクトのある絵画によって信者の獲得を目指します。
(一方で、プロテスタントの国では、フェルメールやレンブラントのように、落ち着いた現実的な絵が好まれます)


③その頃、フランスでは

中世のフランスは紛争や戦争に明け暮れ、中々統一されず芸術の世界でも取り残されています。
フランス人画家りゴー作 ルイ14世

そんな中、太陽王ルイ14世によりフランスが統一され、ようやく安定した基盤の元芸術にも力を入れ始めます、が、傾向はややバロックというより、ルネサンス的で、ヨーロッパ世界においてスターになるような画家はまだ出てきません。

フランス女王の連作もルーベンス作


この時代のフランス人画家の作品

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%83%AB#mediaviewer/File:Georges_de_La_Tour_006.jpg
ラ・トゥール作 悔い改めるマグダラのマリア


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%83%AB#mediaviewer/File:La_Tour.jpg
ラ・トゥール作 聖ヨセフ

ラ・トゥールの場合は、外からの光ではなく、ロウソクやランプで絵のうちからの光、この人はかなりバロック的ですね。





http://mk.wikipedia.org/wiki/%D0%9D%D0%B8%D0%BA%D0%BE%D0%BB%D0%B0_%D0%9F%D1%83%D1%81%D0%B5%D0%BD#mediaviewer/File:La_Mort_de_la_Vierge_-_Nicolas_Poussin_-_1623.jpg
プッサン作 聖母の死


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%83%E3%82%B5%E3%83%B3#mediaviewer/File:The_shepherds_of_arcadia.jpg
プッサン作 アルカディアの牧人達





あまり、フランスにはいなかった人で、殆どフランスにはいませんでした、太陽王はお気に入りだったようですが、ルネサンスっぽいですね。




④ギャラリー
個人的な好みでの作品のまとめと、作者の人生を軽く。





http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/10/Caravaggio_-_La_vocazione_di_San_Matteo.jpg
カラヴァッジオ作 エオマの晩餐




カラヴァッジオが描かれた10万リラ札






http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/10/Caravaggio_-_La_vocazione_di_San_Matteo.jpg
カラヴァッジオ作 聖マタイの招命











元祖バロックのカラヴァッジオですが、天才的な宗教画家である一方で、普段の素行が悪すぎるという、真逆のような二面性の持ち主です。

問題を起こしては、別の地へと移る人生で、最後はその素行の悪さゆえに行き場を失い野垂れ死に。

後にその後の芸術への影響を評価され10万リラ札に描かれることになりますが、その際にも、彼の性格が問題となります。










http://fr.wikipedia.org/wiki/Diego_V%C3%A9lasquez#mediaviewer/File:Diego_Vel%C3%A1zquez_015.jpg
ベラスケス作 バッカスの勝利
http://media-cache-ec0.pinimg.com/736x/39/da/e4/39dae4df48fdfe2a6f383310733c8c4d.jpg
ベラスケス作 教皇イノケンティウス10世




http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8F%A1%E3%81%AE%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%82%B9#mediaviewer/File:RokebyVenus.jpg
ベラスケス作 鏡のビーナス


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A8%E3%82%B4%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%82%B1%E3%82%B9#mediaviewer/File:Las_Meninas,_by_Diego_Vel%C3%A1zquez,_from_Prado_in_Google_Earth.jpg
ベラスケス作 ラス・メニーナス























スペインとして活躍した、ベラスケスですが是非拡大写真でみて下さい、かなり荒い筆致が離れて見ると本当に質感が感じられる凄さが分かるかと、印象派にも通ずる所が有りますね。


宮廷画家でも、王家の人々や上流階級だけでなく、道化師に目を向けたり、バッカスを普通の人になぞらえて書くなど対象や表現の幅も広いです。

 ラス・メニーナスは彼の最高傑作であるだけでなく、集団肖像画史上最高とも言われる位有名な作品なので、覚えておくと良いかもしれません。

画家では有りますが、王の信頼も厚く、役人としても高い地位を得ます。




http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%BC%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%91%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%B3%E3%82%B9#mediaviewer/File:The_Three_Graces,_by_Peter_Paul_Rubens,_from_Prado_in_Google_Earth.jpg
ルーベンス作 三美神



http://en.wikipedia.org/wiki/Peter_Paul_Rubens#mediaviewer/File:Sir_Peter_Paul_Rubens_-_Portrait_of_the_Artist_-_Google_Art_Project.jpg
ルーベンス作 自画像



















上で幾つか紹介したので、少なめですが、次の時代であるロココにも大きな影響を与えます、また、出身はフランドル地方で、そこからルーベンスに憧れた少年の話として、「フランダースの犬」が良く知られています(最後のシーンはルーベンスのキリスト昇架/降架の飾られた教会)

画家としてのみならず、外交官としての顔も持ち、大規模な工房で作品を描きます。
複数の物事を同時にこなすような、かなり多忙で、また、多彩な人であったようです。

晩年は引退し、家族とともに過ごしますが、奥さんが50代の時に亡くなり、16歳の少女と結婚するなどちょっと驚きの話も有りますが、亡くなった後は自分の絵飾られた教会で眠っています。




http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%B3#mediaviewer/File:Rembrandt_-_Rembrandt_and_Saskia_in_the_Scene_of_the_Prodigal_Son_-_Google_Art_Project.jpg
レンブラント作 放蕩息子(レンブラントとサスキア)



http://nl.wikipedia.org/wiki/Rembrandt_van_Rijn#mediaviewer/File:The_Nightwatch_by_Rembrandt.jpg
レンブラント作 夜警
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%B3#mediaviewer/File:Rembrandt_Harmensz._van_Rijn_142.jpg
レンブラント作 ゼウクシスとしての自画像


様々な人になりきり、その自画像を多く書いたことでも知られるレンブラント、光と影の画家とも称されます。


私生活においても光と影という感じで、画家として成功し始めた頃に、金持ちの娘と結婚し更に地位を高めます。
工房を作り、数多くの作品を世に送り出す一方で、自分の作品を買い集めて、需給バランスを崩し、その価値向上を図ったり、様々なものをコレクションしたり。

しかし、晩年に近づくと、英蘭戦争の開始で、オランダの景気が悪化、過去の放蕩生活もたたって破産、裕福な生活に戻ることなくこの世を去ります。







http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AB#mediaviewer/File:Jan_Vermeer_van_Delft_025.jpg
フェルメール作 小道


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AB#mediaviewer/File:Vermeer,_Johannes_-_The_Loveletter.jpg
フェルメール作 恋文





















http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AB#mediaviewer/File:Jan_Vermeer_van_Delft_002.jpg
フェルメール作 とりもち女
家は、オランダのデルフトと言う街の宿屋です、とりもち女は、それに関連した絵とも言われています。また、10人以上子供がいたようです。

絵を書く際に、カメラの原型となったカメラ・オブ・スキュラと呼ばれる装置を作ったことでもしられています。

 特徴的な青色には、ラピスラズリという宝石を粉にして使うなど、裕福でしたが、こちらも英蘭戦争のあおりで、借金苦、失意の中でなくなります。
作品数は世界で30点未満とかなり少ないです。